★はじめに
過去コラムやコメントの中で度々私が述べている「オーディオは個人で楽しむもの」という考え。オーディオ議論を交わす機会が多い人は強く実感されていると思うが、根本的な部分で「個人のオーディオ」と「大衆のオーディオ」という見解の相違があるとあらゆる面で意見が食い違い、その食い違いの程度は嗜好の相違に匹敵する程に大きく、議論の余地なしと言っても過言ではない、私はそのように感じている。実に面白い、これは一度深く考察するに値する興味深い題材だ。なぜオーディオの楽しみ方・・・ここで「楽しみ方」という言葉を使うか否かまでも「個人のオーディオ派」と「大衆のオーディオ派」で違ってくるのではないか、そんな気がしてならない。それはさておき、今回は「個人のオーディオ派」としての私の意見を中心に、「大衆のオーディオ派」の考えを推測しつつ考えていきたいと思う。勿論私は「大衆のオーディオ派」の真意を知る由もなく推測にすぎないことはご了承願いたい。願わくば「大衆のオーディオ派」の人にコメントを戴きたいものである。
★「個人のオーディオ」
「個人のオーディオ」とはどういったものなのかをまずは定義付けしておく必要があるだろう。これは私のオーディオの考え方そのものの一部とも言い換えられる。いくつかのキーワードを羅列してみるので、これらから「個人のオーディオ」とはどういったものなのかを頭の中でイメージし確立して戴けたら幸いである。
・オーディオとは個人で楽しむもの
・自分が理想とする音、好きな音を目指すべきである
・他人の好みは考慮しない、全ては自分の理想の音の追求
・自分の好みは自分においてのみ絶対であり、他人から見れば絶対にあらず
・自分の好みの音を他人に押し付けるべからず
・自分の理論を他人に押し付けるべからず
・オーディオにおける全ては自身で判断し自身で決断し責任は自身にある
・自分は自分、他人は他人、他人の意見を尊重すべし
・自分は自分なのだから
「他人の好みを考慮すること=自分の好みを曲げること」だと私は考えている。他人の好みを考慮して音を作り上げることは、例外的に類似性の多い嗜好を持った他人というケースを除けば、それはすなわち自分の好みの音からは外れてしまうということになるだろう。果たして一個人のオーディオにおいて、そのようなことをする必要があるのだろうか、私には受け入れることができない。嗜好という要素を数値で計測することが不可能な以上、目に見える形で全く同一の嗜好を持つ人の存在を証明することは不可能であり、やはりオーディオとは自分の考える理想の音というものを追求すべきで、その結果その音に共感する人がいれば、それは「好みの要素に似たものが多いという相互関係がある」という思考経路を辿るのが最も自然だと私は思う。例えるならば、芸術家は自分の感情を絵に、造形物にぶつけて具現化するではないか。自分が作りたいと思うその思いを形にする。ここに大衆の好みが反映された時点で、私はそれは芸術家と言うよりは現代風に言えば企業であると思うのだ。
★「大衆のオーディオ」
前項の最後に書いた「企業」という言葉、これこそ「大衆のオーディオ」を現す最適な言葉だと私は思っている。メーカーと言い換えたほうがイメージしやすいだろうか。それでは先ほどと同じようにキーワードを羅列してみよう。
・なにより企業利益へ繋げることを考えとして常に持っている
・多くのユーザー、多くの好みに対応するための豊富なラインナップ、価格帯
・自分よりもユーザーありき、ユーザー先行型
・自分本位では利益に繋がらない、何よりも他人を考えるべき
要するに「メーカーサイドの考え方=大衆のオーディオ」というのが私の中での「大衆のオーディオ」の定義である。なので、仕事で音楽やオーディオに関わっている人には「大衆のオーディオ」の考え方を持っている人がいる可能性が高いのではないかと私は予測している。ただし、メーカーによって「個人のオーディオ」の意識が強いメーカーもあるだろうし、逆に「大衆のオーディオ」の意識が強いメーカーもあるように見受けられるし、中には極めて「個人のオーディオ」の意識が強い利益を無視したような職人気質なメーカーもあるだろう。いずれにせよ、私は他人を意識したオーディオ論を展開することは「大衆のオーディオ」と定義付けしたい。
★他人への干渉~強制~
「個人のオーディオ派」だけでなく「大衆のオーディオ派」の人の中にもいると思われるが、人に干渉されることを嫌う人は多いのではないだろうか。自分は自分で自分の理想の音を目指して試行錯誤し、自己責任で納得してオーディオを楽しんでいるのだから、「それは間違っている」「こうすべきだ」などと方向性を強制されることを嫌うのでは、と。私はそのタイプで、いろいろな人の意見や感想・インプレは、同じオーディオ仲間としてそれぞれが各自頑張っているという意味で、「こんな考え方をする人もいるのか」「こんな感じ方をする人もいるのか」「これは面白いな、試してみよう」などなど、非常に楽しく面白く、参考にさせてもらっているものの、逆に「あなたのやり方は間違っている」「こうすべきですよ」などと言われるのは筋違いだと思うわけである。
例えば「原音忠実性」。これはこれでオーディオとしてひとつの正解だと私は思うし否定もしない。しかし、生で聞く音と同じ音を目指すことが万人にとってベストな選択なのだろうかと言われれば、私はそれは違うと答える。機器やアクセサリーによって原音とは違い味付けされた音であっても、それが自分にとって心地良い、イイ音だと感じられるのであればそれが自分にとってのベストな選択になり得るはずだ。他にも「万人受けする音」こそイイ音であると定義し、そのような音を目指す人もいるだろう。これもまたその人にとっての正解なのである。ただ、それが全ての人にとっての正解かと言えばそうではなく、イイ音というのは人それぞれ千差万別であり、各々の中に違った正解があり、各々が自分の正解を目指して進んでいけばいいではないか。このあたりは完全に「個人のオーディオ」の視点からの意見と言えるだろう。同様の理由から、私からすると「ケーブル否定派・肯定派」の議論などは実に馬鹿馬鹿しく興味の無い話で、効果が無いと思うなら付属ケーブルを使えばいいだけであるし、逆に効果があると思うなら高価なケーブルや自作ケーブルを使えばいいだけの話である。自身がどう感じるか、全ての答えはそこにあり、他人が入り込む余地はないのではないか。水晶を置けば音が良くなる?そんな馬鹿な、オカルト?実際に自分で試してみて効果があるなら使えばいいし、効果が無いと感じれば使わなければいいだけではないか。なぜその選択に他人が関与する必要があるのか、私にはそこが解せない。
つまり、「個人のオーディオ派」の人だけに限ったことではないが、「自分は自分」という自分主導でオーディオを考える人と、自分の考えを押し付ける、又は自身の理論を他人に強要する人の意見というのは非常に根っこの部分で考えに相違があるため、あらゆる部分で意見が食い違い、そして理解し合うのが困難かつ時間がかかるのではないだろうか。たとえそれが親切心からくる言動であったとしても、受け手からすれば「それはその人の考え、自分は自分の考え」という考え方があるため素直に受け入れ難いはずである。少なくとも私はその一人だ。
★メーカーも
メーカーの中でも「個人のオーディオ」の意識の大小があると書いたがまさにその通りで、大衆を意識するメーカーであってもメーカーの理想とする音というのは非常に重要なキーポイントであることに疑う余地はない。メーカーの理想とする音を確立することはメーカーのブランドイメージを固め、同時にブランド力を強固とする。その中で、様々なユーザーに対応できるよう幅広い価格帯のラインナップを揃え、メーカーの音というのを維持しながら少しでもユーザー層を増やすために音のアレンジを加えてラインナップを増やす、そしてハイエンドモデル、トップモデルでは一切の妥協を許さず、コストも度外視で理想の音を形とする。察しの通り、メーカーであっても根本は自分主導で自分の理想とする音を追求し、それに共感するユーザーがついてくるという「個人のオーディオ」の考えが根付いているのだ。
★まとめ
さて、そろそろまとめに入ろう。今回私が言いたかったことは、オーディオとは個人主導であるべきであり、他人に強制的な干渉をすべきではないこと。オーディオを趣味とする人それぞれが、各々でオーディオを楽しみ、自身の体験を情報として発信し、その情報をそれぞれが自分の判断で取捨選択し、その作業を経てお互いが情報を共有し合い、その中で共感できる部分が見つかれば、それはどれだけ嬉しく楽しいものだろうか。お互いを高めあうことができるような情報交換、そんなオーディオコミュニケーションを心がけていきたいと思っている。
Muse Cableを予約している者です。
いつも楽しくブログ拝見させて戴いております。今回私は始めてのコメントとなります。
私は、仕事でギタリスト兼レコーディングエンジニアをしておりますが最近自宅のオーディオに多少力を入れ始めたオーディオ初心者でもあります。以前は職場と同じように自宅にもモニタースピーカーを置きなるべく職場と同じような状態で音楽を聞いておりました。しかし、自宅でもこのような状態で音楽を聞くと楽しさはおろか苦痛に感じてしまうこともあります。
そこで1年前自宅にオーディオ入門機(総額で100万位)を導入してみたのですが、まるっきり音楽が別のものになりました。正直びっくり。それからすっかりオーディオにはまっております。自宅では完全にまみそ様同様「個人のオーディオ派」だと考えます。私も、様々なケーブル、アクセを使用して好みの音に少しでも近づける。人がどうじゃなく自分が良いと思ったものが良い。という考えです。
私は仕事柄色々な方向から音楽を聞くように心がけております。その場合は「大衆のオーディオ派」に考えが変わる場合が多々あります。作曲者の強い意思に負け自分ではやりたくないようなMIXをすることもあります。しかしながらその強い意思や個性的な考えにこそ作曲者の背景や、情熱があると思います。また、このような音には生命感や魂が宿り説得力があります。作曲者の考えに私のエンジニアとしての色味を足し、そのジャンルにおいて万人が期待するであろうポイントを探りながら作業をします。まさに無難な大衆が好むであろう音作りをする訳です。私がこのような作業をした曲を自宅の環境で聞くと、飽和状態になってしまい色味が薄れてしまうことがあります。むしろ私が作成に関ったほぼすべての作品に違和感を感じております。
しかし、友人所有のオーディオ(高級コンポ?)で聞いた場合非常に無難に聞くことが出来ました。これはこれで非常にすばらしいと感じました。むしろエンジニアの立場から言うと一度はこのような無難な音で聞いていただきたいとも思いました。
正直私が「個人のオーディオ派」なのか「大衆のオーディオ派」なのか分からない状態です。二面性を持ったちょっと変わったオーディオライフなのかもしれません。
この度は長々と申し訳ありませんでした。
不適切と感じた場合はすぐに削除して下さい。
嬉しいコメントありがとうございます。
反響があったようで賛同者からメールを戴いたりもしております。
やはり受け手、ユーザー側、ではなく発信者側の立場になったときに「大衆のオーディオ派」になるのは仕方の無いこと、と言うよりは「大衆のオーディオ」の考え方を持つべきだと思います。
御菓子でも車でも曲でも何でもそうですが、売れなきゃ意味が無いですから、より多く売れるようにするにはどうすればいいかを真っ先に考えるのが正解なのでしょう。この場合は趣味ではなく仕事ですからね。
ただ、その考えを家で趣味として楽しむオーディオに持ち込むかってのはまた別で、仕事と趣味とをしっかりと区別してオーディオライフを送れているQuartet Of Deathtさんの意見を聞けて嬉しかったです。
ありがとうございました。
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